2018年07月07日

またいつもの事、そして当然の結果

災害や事故等が起こると、毎回、ほぼ同じような事が発生します。
その度に、前回の教訓は生かされなかったのか、とか、想定外などという言葉が必ず出てきますが、半数以上の日本人は教訓を生かして学習しないし、想定内の状況を想定外と偽ってるだけなので、何度やっても同じ問題が発生するのは当たり前です(笑)
何故そうなるのかと言うと、そういった事を未然に防ぐ事を考えてるのではなく、やった気になって、その場さえ過ぎてしまえば、それで良いと言う間違いだらけの日本人しかいないので、そうなるんです(笑)
これも毎回書いてますが、今の日本人は、とにかく考えない。難しい事を考えるだけ無駄だと思っている。学習しない。だから間違える。その間違いが大きな問題を引き起こすと言う流れ。そして将来の事も考えない。先が見えないのは先を見ようと考えてないだけ。だから未来がない。当たり前の結果ですよね。
考えなくなると即物な感情や欲求のみが優先的になるので、あの半島の人達のように、およそ文明人とは思えない行動になっていきます。一言で言うと痴呆症の人と同等と言う事ですね。意識は正常だけど、思考が痴呆的なのが間違いだらけの日本人と言う訳。とかく、自分はまともだと思い込んでいるから性質が悪い。
専門的な知識はあるのは良いが、その知識を使い新しい何かを生み出す大きな変革を起すような事をしているのかと言うと、それは出来ない。所詮、現状維持が手一杯で、そんな事をしている余裕はないと言うのがオチ。幾ら正しい事を説いても、それを証明する術を持たなければ、何の価値も意味もないんですよ。で、たまに、私に対して、じゃあ、そう言うおまえはどうなんだ、と言う人がいますが(笑)そもそも、そういう事を主としてやってる人間で、その一環で、こうやってブログを書いていたりする訳(笑)つまり、この時点で、このブログだけではありませんが、そう言った証明する術をもって実行している訳です。だから、主張できる(笑)中には当然、勝手な言い分だけで主張している人もいますが、いずれも感情論から抜け出せていない。それは出来ないと言う、出来ない理由は、技術的な事なのか、物理的な事なのか、環境の問題なのかと言う現実に即した問題で出来ないのか、単に感情的にできないと言ってるだけなのか、見極めが出来ない人が多い。わかっていても、感情的にやりたくないというのは勿論ありますが(笑)その発端は、話を聞いたり内容を読んだりすれば、それがどちらに該当するかわかるのだが、そもそも、それはどれなのかと言う判断が出来ない。それは物事を理論的に捉えていないから(笑)原因がどちらにあるかが理解できれば対処できますが、その原因がなんなのか掴めない。これが一番の大きな問題で、最初にそれを判断する事が重要と言う事です。判断する為には、感情論ではなく、幅広い知識や経験に基づく理論的な思考が必要になる訳です。そして、ぐるぐる回って元に戻りますが、常に学習と思考を繰り返し続けなければ、簡単に間違いだらけの日本人になってしまうと言う事です。
posted by ぴよぴよ at 17:30| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月03日

言ってる事とやってる事がダブルスタンダード

日本の公共放送はどうなっているのかと言うと、まずは基本的な放送に関する方針。
政府にも民間にも寄らず組しない中立的な立場と言う事で、スポンサーのいない公共放送では、具体的な商品名や固有名詞に当る物の名前を言ったり、見せたりするような放送は、広告にあたってしまい特定の勢力に組する事になる為、しない事になっています。
次に基本的な著作権と放送に関する事柄。
自局で製作し初めて放送された番組の放映権は、その自局にありますが、他局で放映された物の場合、当然ですが、放映権や著作権は他局にあります。
だから、他局で放送された物を自局で、一部でも使用する場合、他局から放映の許可を貰い、その版権を取得する必要があります。
版権の取得は、勿論、無料ではありません。これは公共放送と言えども例外ではなく、他局の物を使う場合、同様に版権を取得する必要があり、版権の使用料を払う事になります。そして公共放送の場合、その版権の使用料は受信料を使って賄う事になる訳です。ただ、当たり前ですが、他局で使用している版権を使用すると言う事は、固有名詞を連呼したり、表示して広告する事になってしまい、基本的な放送の方針から逸脱してしまう訳です。
公共放送のあり方について、最低でも以上2つの事を理解した上で判断する事が求められます。
これは私個人の常識ではなく、局の内規や法律上での常識。なので、これを知らないのは常識がないと言う事になります。
つまり、これを理解していなのは、本質に沿わない答えしか出てこない間違いだらけの日本人と言う事になります。常識を知らない日本人とも言えるでしょう。そもそも常識とは何かと言う話はありますが、その常識を覆すだけの論理がないと、その常識は常識のままと言う事なので、現状では、その常識を知らない日本人と言って間違いないでしょう。
そして、これを理解していれば、公共放送が受信料を使い、わざわざ他局から媒体の放映権を買い取ってまで、民放のバラエティー他の放送をする事はおかしいと言う事がわかるはずです。
そもそも、受信料を使い、他局から、わざわざコンテンツを買い取り放送して欲しいと希望する視聴者等いる訳がありません。
放送局側としては、他局のコンテンツを利用すると言うのは、自局のコンテンツに魅力がないと言う事にもなりますし、そう言う事は公共放送ではなく、最初からコンテンツを持っている民放に要望や希望を出してやってもらう方が早いからです。
放送局が国営しかないと言うような国であれば理解できますが、国営でもないし、今の日本はそうなってもいない。資本主義先進国の米国には、公共や国営で運営されている放送局は存在しない。国営放送のある国は、税金として徴収され、料金も低く抑えられている等、世界の放送事情と比べても明らかに、資本主義社会のものではない事がわかる。そもそも、資本主義と社会主義の違いは、それを運営する資本が国か民間かというだけで、やってる事はどちらも変わらないのだが、民間からの資本でなり立ってない公共放送は、少なくとも資本主義ではなく、社会主義のものと言わざるを得ない。かと言って、人の命や生活に関わるようなインフラですらない。日本が真の資本主義の独立国社会へ向かおうと言う気持ちがあるのであれば、日本の公共放送は、そろそろ役目を終えなくてはいけないでしょう。
posted by ぴよぴよ at 01:23| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月28日

少しは考えた方がいい

どうして何でもかんでも人に聞きたがるのか(笑)すぐに答えを求めて思考しないと言うのが間違いだらけの日本人。考えればわかる事なのに最初から考える事を止めている。まず考えて、自分で調べ考えて、最後にわからなかったら人に聞く。そういう事をせず、疑問に思った事をすぐ口にして、ただ人に聞くだけの人間を相手にしている暇はない。別に仕事でやってる訳ではないから、答える義務もない。そもそも基本的に、すぐ答えを欲しがる様な教育を日本ではしていないんだが。だから、学校では、より簡単な方法があっても、最初は、敢えて遠回りするような答えをしないと正解としてない事があるんですよ。考える事を止めると、成長しないので何十年歳をとっていても思考が子供のまま。人生を無駄に過ごしているだけで生きている価値はない。と言うのが私の持論。何故そう思ったのか、理解できないのはあなたの理解力が足りないから。他人に聞く以前にもっと色々な事を勉強するべき。聞きたがりに関してはまた別の機会にするとして。別に人間以外の動物なら考える必要はなくても良いんですよ。人に関わる経済活動とかする訳ではないから。
まず物事を俯瞰してみていれば、言わなくてもわかるんです。言わなくても、と言うのは、当然、相手に対して実際に言う事ではなく、経験や知識を通した自身に対して、相手に言われなくてもと言う意味。これを本当に、文字通りに受け取って、言わなきゃわからないだろと言う奴がいるから困る。少しはどういう意味か自分で考えろと言いたい。そして、本気で小学校から国語をやり直した方がいい。
比率が高いと言うのは、そう言った事象の傾向の割合、比率が高いと言う事で、数学や統計上の数値で何パーセントと言う意味ではない。
実際に発生している事柄を数値で表して、実際には違うじゃないかと言うのは、正しいけれども間違いで、数値的に違っていたとしても、それを実際に目にする機会が多ければ、人の目には、その比率が高いと言う事になる訳です。だからと言ってそれを、目にする機会が多いので、とは、わざわざ言い換えません。勿論、傾向がにしても割合がにしても、何のと言う話を一々説明しなくてはならなくなるからです。特に割合がになると、それこそ数値にかかるものが必要になる言葉になるので比率と言う使い方をしている訳です。文章を無駄に長くしない為に簡潔で意味のわかる言葉を選んだ結果がそうなるのです。
何故言い換えないのかと言うと、そう言う事を踏まえた状況を知っている人は意味合いも理解できる為、比率をあらわす所の意味が実際の数値ではないと言う事を言わなくても、ニュアンスでわかるからです。決して適当にいい加減な事を書いてる訳ではありません。以前も似たような対応をした人がいたが、あれは非常に困った。まとめる、集約する、セットにする、一緒にする、合わせる、含める、これを良い年齢をした人間が、全て全く違う意味だとしか捉えられないのは流石に人としてどうかと思う。これらの語の中には、共通する意味合いが含まれている訳です。答えは一つではない。言葉が多少違っても、それが本質であり、言いたい事の意味になります。結果的に大勢に問題がなければ、どうだって良いのです。そうでないと、特に海外の方と会話するには100%同じ言語で間違いなく話せないといけない事になってしまいますし、そもそもの会話が成立しません(笑)
そんな訳で、語彙が少ないと同様の意味合いを含む言葉から何が言いたいのかを掴んで理解する事が出来ず、それだと海外の人と同じ事になってしまうので、それでも、もし日本語を話す日本人だと主張するなら、やはり小学校からやり直した方がいい。
日本語が難しいのは、文字通り、その言葉通りに捉える事のない別の意味を含めた代替語の事象が多いので難しいのです。
どのくらい難しいのかと言うと、光ると言う言葉がありますが、光る素質は、実際に明るく光っている訳ではあませんよね。
日本語の文章は、前後の文から意味を理解する言語で、文字を読んだ文字通りの意味を理解する言語ではないのです。
これを理解するのが難しいのは、主に日本語の教育を受けていない海外から来た人達なので、少なくとも、その様な質問をしている人は日本人ではないと言う事になります。これとは少し違いますが、3月1日は日曜日で祝日、晴れの日でした、とか、同じ語でも、単語になると、複数の読み方に変化したりする事が多々あり、生に至っては、生(け)花(いけばな、しょうか、せいか、なまばな)、生(き)甲斐(いきがい)、生え抜き(はえぬき)、生娘(きむすめ)、平生(へいぜい、ひらお)、生絹(きぎぬ、すずし、せいけん、へいけん)、生業(すぎわい、すぎあい、せいぎょう、なりわい)、生計(せいけい、たつき)、生い立ち(おいたち)、生半可(なまはんか)、生前(しょうぜん、せいぜん、そうぜん)、弥生(いやおい、やよい)、生まれる(うまれる)、生憎(あいにく、あやにく、せいぞう)、生涯(しょうがい)、生粋(きっすい)、苔生す(こけむす)、大往生(だいおうじょう)と様々な言い方に変化する為、日本人ですら、その読み方はなんと言うのか、考えるだけで閉口してしまいます(笑)ただ、日にしろ、生にしろ言ってる意味は、ほぼ同じで、日は、その時を表す意味ですし、生は、生きる、と言う意味に関する事柄を共通に含んで表しています。これが本質。そして、同じ意味を複数の違った言葉で表しているのか、それとも、同じ言葉で複数の違った意味を表しているのかの違いなだけです。
posted by ぴよぴよ at 18:25| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月25日

経済面を考慮しない公共

公共の為の目的を公共の資金と言う手段を使って実現すると言うのが純粋な公共です。
だから、公共の目的を公共の資金で運営する事を主としない資本主義社会で純粋な公共と言う物は殆ど無くなるのが必然。
例えば、公共交通機関と公共放送がありますが、恐らく、殆どの日本人は、両者とも公共と言うでしょう。違います。
何故、公共に対する認識を誤ってしまうのかと言うと、それは日本人が目的と手段を履き違えている為です。
精神論と物理的な事を一緒に考えてしまっているといっても良いかもしれません。
どんなに公共性の目的と言う理想が高くても、それを運営を委ねられている媒体が公共に属していなければ、その公共性に対して一般の国民が注文をつける事は出来ません。
そして逆に、運営する媒体が例え公共に属していたとしても、その目的に公共性がなければ、公共とは言えないのです。
つまり、この目的と、資金を始めとした運営主体の両者の条件が公共でなければ、厳密な公共とは言えないと言う事です。
広義の意味での公共ではなく、狭義の意味での公共。これが本質。
私は、その本質に基づいて、日本人には公共と言う考え方がないと断じているのです。
いや、むしろ、長らく社会主義、全体主義で来た日本人は、全てのものが公共と思っていると考えても良いかも知れません。
但し、公共交通機関にしても公共放送にしても、公共性がないと言う事は言えません。公共に準ずる看做し公共性と言って、
公共(性の高い)交通機関、公共(性の高い資金で運営される)放送と言うと言う事で、完全に公共と言う考えを否定するものではないからです。
故に、公共としての目的、インフラの意味合いが強い媒体が運営するものは、公共性が高い為、例え資金面が公共に属していなくても、
公共と言う説明をしている訳です。
そして本来は、公共性の高い交通機関と言う所を、簡略化が好きな日本人は、公共が目的だから同じだろと看做し、
略して公共交通機関と言い換えている為、その認識に誤りが出てしまっているのです。
そもそも、公共性が「ある」と「高い」の違いがわかるくらいの日本語力がないと全く理解できないと思いますが(笑)
尚、単に公共について調べても、それは単純に一般的な概念としての公共であって、経済面を全く考慮せず公共を論じているので、
このような複合した説明は出てきません。
posted by ぴよぴよ at 00:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月24日

■コミック大人買いはこちら!

posted by ぴよぴよ at 12:11| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月22日

■手軽にドメイン取得

posted by ぴよぴよ at 12:07| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月20日

日本語と軍歌と

冗談抜きで、本当に小学校から国語の勉強をやり直してもらいたいと思うのが、現在形、現在進行形、過去形の使い方がわからない、読めない、意味がわからない人達。そこに書かれているのが、今の話なのか、そうでないのか、文章を読んで理解できない。既に英語教育よりも、日本語教育を何とかしろと言う状況ですが、欲深でエロい上の人達にはそれがわからない。しかし、日本人の代表であるので、こういう人達を選んでる日本人はもっと欲深でエロいんですが(笑)
さて、エロい軍歌問題、じゃなく、ヒノマルの歌の軍歌問題ですが、この歌詞は軍歌か否かと言う論争が巻き起こっていたので、その歌詞を見てみましたが、まあ、軍歌ですね(笑)
そもそも軍歌の歌詞を知っている人でないと、それが軍歌であるかどうか理解できないので、これを軍歌ではないと言ってる人は、恐らく、それらの歌詞を見た事がない、若しくはイメージだけで言ってるような気がします。基本的に軍歌と言うのは戦意高揚、国威発揚の歌なので、銃や戦う等、直接的な歌詞が書かれてなくても、それらに該当するような内容の事柄が入っていれば、軍歌になりえるのです。と言う事で、何故、軍歌と言えるのかを検証してみましょうか。
まず誰に向けてのメッセージなのか。歌詞には、誰かに宛てたメッセージ性と言う物もありますが、全体の内容を見る限り、僕らと言う言葉を使っているので、少なくとも自分自身に向けた内容であると推察できます。
言葉の使い方が古めかしく、断定調である。ほぼ全ての言葉の使い方が言い切りの形、断定で終わっている。
それに加えて、使われている言葉の選び方が、血潮、御国、御霊、日出づる国、御名、燃ゆる、優しき母、強き父、この身が滅ぶ、いざゆかん、守るべきもの、沸ぎる決意等、ほぼかつての軍歌でも利用している言葉、特に日の本の国を強調する国を称える内容になると、国威発揚で愛国歌、須らく軍歌になる。
そしてタイトルが、国そのものになっているので、以上の点から、妙な勘繰りなしに、この歌詞だけを見ると軍歌だと言う事になります。
ですが日本語や日本の歴史を知らないと、これは軍歌じゃないと平気で言っちゃう訳ですね。
逆に国歌が天皇を称える歌だと平気で言っちゃう人もいますが、それもやはり同様に、日本語や日本の歴史を知らないから言ってしまう訳です。
因みに軍靴も、ぐんかと読みますが、漢字を説明する時以外で、これをグンクツ、或いはグングツと言ってしまう人は、やはり日本語を知らない人だからです。
だから教育って本当に大事。そして、自分で考えろの自己責任で、結果を妙な思考で終結させてしまわせるような今の教育は非常に問題です。
そして後は、曲調でイメージが変わるのでどうなるかですが、決して軍歌が悪い訳ではないのですよ。何しろ未だに、と言うか、クレームが来て止めてところが多いですが、パチンコ屋のBGMで軍艦マーチが掛かっていた時期もありましたから。問題は、軍歌が戦争を助長すると言う狭量な考え方が悪いのであって、現実に戦争する能力が個々人にある訳じゃないんだから、別に軍歌ぐらい歌ったっていいじゃん(笑)と言うのが個人的な感想です。
posted by ぴよぴよ at 00:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月18日

■安定の24時間稼動

posted by ぴよぴよ at 12:09| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月16日

2018年06月15日

フェイクとマッチングと

ネット上でのマッチング情報の場合、利用者側には直接的なメリットがありません。
しかし、その部分を利用者に対価を支払い収集すると言う方法、レシートの画像を送ると1枚10円もらえると言うアプリが受けているそうです。
ですがそれは、オンライン上でアマゾン等がやっている事をオフラインでやっているに過ぎません。
その結果がどうなるかと言うと、これはオンライン上での話ですが、米国でテロ事件が起こった際、犯人を捜す手がかりとして、犯行の際に利用したリッュックと圧力鍋を購入した人物を特定するのに、マッチングのシステムを利用して探しています。そして、そこでたまたまキャンプへ行くのにリュックと圧力鍋をネット検索した人の自宅にSATがやって来たという事例が実際にあります。
ネット上では、既に、こういったマッチングシステムの利用が行われていて、それが例え1回だけだったとしたても、何かを調べたり、購入したりすると、それに関連する商品やサイトの広告が何回も表示されると言うのがそれです。
つまり、こういった基本的な情報を理解していれば、その使い方は、オンラインとオフラインとの違いはあれど、最終的に、ほぼ同様になると言う事がわかるでしょう。
使い方だけを見ると確かにネット上と同じですが、ネット上でのマッチング情報は、それを実施しているところがどこか明確にわかる上に、個人情報の収集はしませんが、このアプリの場合、個人情報を収集した上に、その利用先が明確ではないと言う部分に問題があるのです。特に利用先が明確ではないと言う部分に問題があり、利用先はお金さえ払えば、これらの情報を簡単に取得できる。不特定多数に個人の情報を流すのと同じになりますから、これを他の似たようなポイントサイトと同じような感覚で使うと、最終的に犯罪やトラブルに巻き込まれたりする可能性がゼロではないと言う事になります。
そんな事にはならないと言う考えの人に対する反証する為の事例が幾つもあり、個々の事例を出してそれを一々記載するのも面倒なので省略しますが、この、先の先を見越した対策を取るのが危機管理です。この危機管理に対応するには、多くの情報とそれを考える思考力がないといけない訳です。
簡単にネット等で情報が得られるようになりましたが、それは情報であって知識ではありません。
思考力が伴って初めて知識となる訳ですが、情報を鵜呑みにするだけで考えない、所謂、無知が増えたのは、この思考すると言う事を止めてしまったからに他なりません。
フェイクニュースに騙される人や、他人からの情報を検証しないで報道するマスコミ、ある事柄について意見を出すと何かに付けてソースを出せと言う輩等は、無知の人達です。こういった人達は、どこまで行っても思考する事がないので、幾ら説明しても右から左で理解できず、相手をするのは時間とお金の無駄にしかなりません。
今の義務教育は情報の詰め込み教育だと批難される事がありますが、問題なのは、それを考える為の教育をしない事であって、多くの情報を得る、その事自体に問題がある訳ではありません。覚えることが多すぎで考える暇がないと言うのは勿論ありますが、それはただの言い訳で、どうやったら覚えられるようになるのか、と言う事を考えさせる教育にしていかないといけない訳です。最も、その教育している人が、どうやったら覚えられるようになるのかと言う事を一緒に考えず、結局、自分で考えろ、で投げてしまうのが日本の教育の根本的な問題です。
日本で優秀な人材がどうして生まれないのかと言うと、詰め込み教育が問題なのではなく、思考する為の教育をしていないからと言う訳です。
危機管理もなくレシートアブリに飛びつく人達は、その最たるもので、思考する為の教育をしなかった結果を如実に表しています。
例えどんなに凄い技術があったとしても、その発想の原点で十分な思考をしていなければ、本当に必要なものが何かわからず、何の益も生み出さない、無駄な物になるだけです。しかしそれは、利益を生むか生まないかだけを判断する事ではない。
4K、8Kのテレビの画質は凄いものがありますが、そんな技術があっても、人々が求めているのは、そこではない。
それがわからない時点で、既に日本は終わってるのです。
posted by ぴよぴよ at 00:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする