2018年04月25日

中立と公共性を理解していない日本人

実は、今の日本人の大多数は、中立や公共性の意味を全く理解していません。そもそも、それがどういう物なのかと言う事を考えていないから。
具体的な例を挙げていくと、そこに共通した事柄が含まれている事に気付きます。
それが、中立であったり、公共性であったりする事を意味する訳ですが、物事を関連付けて考える事が出来ない日本人は、その違いを認識する事が出来ず、それが間違いの元。40年以上前から、そのデータが何を意味するのか、例え恣意的に作られたものだとしても、そこに何の意味や意図があるかを表やデータから読み取る能力が低いと言う事は、私自身が実体験として理解している上で、最近の理解力調査でも、実際に低いと言う事が証明されている訳で、如何に日本人が海外と比べ、理論的、論理的思考をしていないか、わかります。
想像や妄想、感情論、特に損得だけで物事を判断しているので、実際にそこへ行き着くには、時間と費用がかかる上に成功するかどうかもわかりません。理論的、論理的思考をしていないと言う部分については、ロボットの考え方について考えてみればわかります。海外だと実用的に動ける物を考える訳ですが、日本だと人型でなければならない、という事に拘ってる訳です。それが発展させてきた原動力と言う人がいますが、昔ならいざ知らず、その思考方法が直接的な経済発展に繋がらず、景気向上の妨げになっている訳です。時間とお金が掛かるばかりで成果が見えてこない。実用に耐えられるかどうかは二の次で、理論的に考えず、結果ありきの思考であれば必然的にそうなるでしょう。まず、この事から、日本人が理論的な思考をしていない事が読み取れます。
そもそも理論的って何かと言う話になりますが、初めから終わりまで説明を理解できるのが理論的な思考。日本人の場合は、例え理論的な思考をしたとしても、それが全て損得勘定へ置き換わってしまっているので、苦手と言うか、本当の意味での理論的な思考が出来ないのです。
その思考は全てが万事で、物事について関連付けて考えると言う事についても当然、理論的に考えられない。結果的に、具体的の中に含まれる共通事柄と言う物を見出す事が出来ない。結果的に、本当の意味を理解する事が出来ない、と言う事になる訳です。
意味を理解していないのだから、間違えるのは当たり前。人間だから間違えると言うのはありますが、それを許されるのは、問題があったりした場合、自身で間違えないよう正せる人間であって、それが出来ない人間に、人間だからと言う言葉は通用しません。間違った時に、その間違いを正せないのは、ただのロボットです。
そこで、まず初めに、中立の意味を考えてみます。公平中立と言う言葉がありますが、左右を見て真ん中が中立、と考える人が大半だと思いますが、それは間違い。選挙の投票をみれば分かりますが、右左どちらにも寄らない中間層がありますが、これは中立と言う立場を取っている訳ではありません。右に行くかもしれないし左に行くかもしれない。どちらに投票するかと言った場合、右か左のどちらにしか投票できない訳です。つまり、この状況で左右をみて真ん中が中立とは言いませんよね(笑)要するに、状況を見て自分の意思で右や左に振れる立場を中立と言う訳。もし、中立と言う立場があり、それに投票できるとしたら、それは中立と言うスタンスしかとらないと言う事で、左右中立の第3勢力となり、結果的に中立ではなくなる訳です。要するに思考を固定化した時点で中立ではなくなる訳です。これが今の大多数の日本人。だから、本来の選挙では、勢力が偏らず均等な配分になるのが中立公平を保つ事になるのですが、今は一党独裁となっており、この時点で、日本は中立公平な国ではないと言う事になります。これを正しく理解しているのは、残念ながら日本人でもごく少数。理論的に物事を考えると言う事は、損得ではないのです。
次に公共性ですが、例えば公共トイレ、公共の場所、公共広告等、所謂、公共物のあり方や状況を見ればわかりますが、必要最低限のものしかありません。けれども、常にそこに安定してあり続けなければならない。必要最低限のものしかないから、継続してあり続けられると言うのもありますが。ここで共通しているものは、過剰華美なものは殆どなく、必要最低限の目的を果たすだけ、と言う事実。某公共放送を見てください。必要最低限の目的以上の事をやっているではありませんか。これは状況的に公共放送ではなく国営放送。実際にも国営放送扱いになっていますが。であれば、国が運営に関わるべき話になるのですが、未だにそういう話は出てこないし、民放にすると言う話も出てこない。この時点で理論的な思考がされてない事がわかります。過剰華美で公共放送を名乗ってはいけません。勿論、国営になれば、それだけお金をつぎ込めなくなり支出が減少し、経済的に良い効果をもたらすのですが、理論的な思考が出来ないので、そういう事を考えられない。理論的な思考とは何か、と初めの方で書きましたが、初めから終わりまで説明を理解できるのが理論的な思考。つまり、理論的な思考が出来れば、初めから終わりまでの結果が見える。先が見える。未来や将来が見える、と言う事になります。生産する事がなくなり、理数系より文系が幅を利かせていると言うのもあるでしょう。今の日本人の将来が見えないのは、この理論的な思考が明らかに欠如しているから。間違いだらけの日本人ばかりになっている理由もこれです。
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2018年04月20日

戦争を知らない子供達

間違いだらけの日本人が増えているのは、ひとえに戦争を知らないから。と言うか、本当の日本の歴史を知らないから。実際に知らなくても、勉強すればいいのに、それすらもしない。慰安婦問題にしても、当時の状況、背景を知っていれば、ありえない事がわかる。直接的な資料があるなしの単純な理由ではなく、その時代の周辺状況を鑑みた根本的な思考の部分から理由が説明できるので、資料がなくてもありえない事がわかるのです。今の日本人は、思考する事を止めているので資料がないと信用しない。他人に理解してもらうにはそれが一番だが、自身が理解する場合は、その資料がなくても、理解可能な状況で、察する事が出来る。つまり、基本方針がわかっていれば、それに沿った行動がなされる、なされていると言う事。当時の日本人は基本的に、真摯で実直、まじめです。勿論、全ての人にこれが該当する訳ではありませんが。その上で、全ての人に当て嵌まるのは、天皇が神様で、国民に基本的人権はなく、上意下達で男尊女卑、差別のある時代と言う事。この基本的な歴史上の時代背景が頭に入っていないと、当時の行為は何故行われたのか等の合理的な説明が出来ないし理解できない。今の日本の教育では、その部分をそぎ落とし、事実の羅列だけで、現代の価値観でしか物事を見る事ができず、今やってはいけない事と、当時の状況を区別できず、差別用語は一切使うな等、そういうのも含み、間違いだらけの思考になってしまう訳です。そしてこれが、日本の教育のだめな理由。政府自体が過去の戦争に対し、悪い事は隠したいのが常で、詳しい教育を施していないと言うのが一番の理由で、戦争を知らない人達が、更に知らない世代を増やす事に拍車をかけている。国が絡むことなのに民間だけが戦争の悲惨さを伝えなくてはいけないと言うのは根本的に間違ってるのです。当然、日本の歴史上の事実、良い悪いは別として、通称731部隊が存在していたと言うのは、一般常識として、知っていなければならない話。原爆が落とされた悲惨さだけでなく、公平に日本が行っていた行為も同時に説明するのが本当の教育。
と前置きが長くなりましたが、自身の意見に否定的なコメントが寄せられ、如何に間違いだらけの日本人ばかりが多いと言う事を再認識するに至った為、終戦記念日(これも歴史的認識があるとわかりますが、事実上は敗戦記念日。ただ、勝ち負けを明示するのは良くないと言う事で、どちらにも寄らない終戦と言う言葉を使うようになっている。当然、一般常識)の前ですが敢えて書いて見ました。以下、転記に関して説明。
いつも書いてますが、意見は説明全文を入れると2倍、3倍量になる為、色々割愛した文章で、表面的な事しか読めない人間は論外。周知の事実、公知事項や基本事項の説明が知りたければ学校へ行くって勉強しろ。若しくはググれ。学校で教えてくれなかったなら、それは間違った教育をしているから、これは教職員団体が悪いと言う話もありますが、そういう話はしたがる方達なので、むしろ教育委員会辺りが問題でしょう。
>731部隊は通称で、普通に存在してたけど、その存在を知らない人間がいる方が驚き。もう戦争を知らない人間ばかりの時代になってしまったんだなあと思う。
―これは日本人が一般常識で知っていなければならない部分。知らないと慰安婦問題のように事実でない事柄が出ても反論できず付け込まれる。当然の内容だから、反論に値しないと言う考えもあるが、それが予期せぬところへ拡大し余計に問題を大きくしている。
>確かに今の価値観で言うと悪逆非道になるが、戦時中で天皇が神の時代の話。
―当時の価値観は、敵は人間ではないと言う倫理。基本的に日本人は使ってない(日本人相手でも特高は非道でしたが、天皇に背く行為は悪と看做され懲罰は何をしても良い)軍部・関係者は特に、人間ではないので何をしても良いと言う思考と教育がなされている。天皇の為なら何をしても良いと言う考えが肯定的。
―そういう時代背景を抜きに結果だけ論じても意味がない事に気付かないと、やってる事は慰安婦と同じ。
昔も悪逆非道な行為だと思う人間は、今も昔も変わらないと考えているから、そういう思考になるし、いい加減な歴史認識だから、問題を解決する為のまともな判断が出来ないんです。基本的に、当時の考えを知るには、今と昔の考え方を切り離して思考するべきで、資料の有無だけで真実かどうかは分かりません。全文記してあれば別ですが当時の人の思いや感想は単純な資料では分かりません。
こう書くと、最後の部分だけを切り取って読んじゃう人いるんだよなあ。「全文記してあれば別ですが単純な資料では分かりません」だから。文章の説明が悪いと言うのはあるかもしれないが、前後の文の脈絡を読み比べたりできる読解力がないなら、どんなに文章で説明しても無理だから。間違いだらけの日本人は、まず日本語が読めない、書けない、意味が理解できない。要するに外国の方って事ですよ。これが正しく出来れば、少なくとも私は血統主義ではないので出自関係なく日本人と思ってます。本音としては血統は残したいですけど、遠い将来の日本じゃ無理でしょう。
日本の民主主義は戦後与えられた民主主義であって、戦って勝ち取った民主主義、資本主義ではなく、実は表面だけを取り繕った、いい加減な社会体制なのですが、それに気付いていない日本人が多いのは、歴史認識がないから。日本にも戦前に民主主義はあったと言う人がいますが、当時は帝国主義、全体主義、国民主権なし、政府にしても、特定の選ばれた人達が動かしていたので、真の民主主義とは程遠い民主主義。誰もが平等の民主主義ではないので、それだけを切り取って、民主主義はあったと言うのは乱暴すぎる。現に基本的な憲法は大日本帝国憲法の流用だし、資本主義にいたっては、1980年代後半の電信電話から始まり、鉄道、高速道路、郵便と2000年代まで政府主導の業界が存在していた訳で、未だに政府が関与、後は放送が残ってますが、資本主義とは名ばかりの国家運営方式を行っている訳です。いつまで経っても親方日の丸で資本主義にならない。戦後の混乱期は安定していないので政府主導は仕方ない側面もありますが、40年、50年、戦後80年経とうと言うのに、未だ物理的な解決だけで済む資本主義にすら到達していない訳ですから、精神的で時間のかかる民主主義の思考など、当然、到達している訳がありません。米国は、建国100年くらいで完全な民主主義に到達しているので、日本も戦後100年くらい経たないと難しいのかなと、あと20年くらいしてやっと本当の民主主義になるのでしょう。自分で思考し自分で行動するのが民主主義の基本。選挙へ行って投票はその手段であって目的ではありません。自分で思考する為には、正しい歴史認識が必要で、それがないと間違いだらけの行動にしかならないのです。
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2018年04月15日

本当は怖い著作権(後談)

マナーや法律が重要になってくる、と書きましたが、考え方としては、その延長線上に法律がある為、どちらかと言うとマナーの方が上なのですが、見えない部分、国の方針等は法律で規定しないといけない訳で、それが法律、規範となりマナーとの相互補完の役割をしている訳です。だから道徳とそれを理解する為の国語力が重要なのですよ。それを蔑ろにしてるから、間違いだらけの日本人を大量生産してるんです。
法律上の優先順位は、米国等の場合、個人に対するサービスが公共と言う概念があるので個人が優先される場合がありますが、基本的に個人ではなく公共の福祉の方が上。
そこで著作権の話が出てくる訳ですが、基本的人権と同じで著作権は誰にでもあります。
ここで履き違えて欲しくないのは、個人の権利を侵害しても良いのかと言う話はあります、当然、それは問題ですが、それを抑制する為、社会全体に関わる問題を勝手に行使しても良いのかと言う話です。特に前例を作ってしまうと、右へ倣えでそれに倣って拡大解釈する傾向の強い日本では最も危険な行為。
業界の要請と言うのは、突き詰めると個人の要請で、著作権侵害は公共の福祉に当らないか、と言うと、当りません。基本的人権と同じだから、公共の福祉にはなり得ないのです。著作権の侵害とそれをやめさせる為の方法を行使する法律は別に必要になるのです。法律を介さず、声の大きい人間の指示でできてしまうなら。それは法治国家ではなく人治国家。
尚、著作権の第一儀は、個人を個人と尊重する為のもの、なので、他人の物を私が作りました、と言ってはいけないと言うのが優先。その次に、それによって与えた金銭的、精神的影響が、幾らと言うお金の話になります。日本人は、お金が優先なので、個人の特定よりも、個人の経済を優先させてしまいます。この時点で思考が間違ってるんですが、それは当然、法律を知らないしその背景も知らないから。因みに、このお金の部分、著作権料の回収を担当しているのが、音楽で言うと某著作権管理団体になる訳です。だからここは、著作権侵害を見つけても、それに対する異議申し立ては、某著作権管理団体ではなく、著作権を侵害された当人がやらなければならないと言う話でお金以外の訴訟はしませんよと言う団体なのです。これも、法律を知らないしその背景も知らないから、登録すれば訴訟してくれると勝手に勘違いしている輩が多い。更に、この関係の話が出ると、鼻歌でもお金取られるのか、と言う話題も度々上がりますが、当然、鼻歌でも取られます。これも同じで、そもそも法律や規約等を知っていれば、そんな話題は出てきません。
違法状態による経済的損失が、と言う話は、経済の話になるので、また別の機会と言う事で。
今回のネットのブロッキングに関しては、漏らしてはいけない情報を漏らさないようにする為、とか、外部からの情報を遮断する為、と言うのはありますが、それは国家機密レベルの話であって、海賊版サイト等に対して使うものではありません。それをやっているのは情報統制をしている中国や韓国に類する国だけ。
以前も日本は北朝鮮と変わらないと言う話を書きましたが、これを司法を通さずにやってしまうのは、まさにその通りで根本的な問題解決しようとせず、臭いものにフタをするような安易な手段で目の前の見える所からしか手をつけようとない。考える事が仕事なのに、如何に考えず楽に出来るかと言う思考しかしていない。日本で閣議決定はほぼ法律と同等と言う認識の強い影響力を持つにも関わらず、色々と手を尽くし、これ以上やりようがない、相手と話し合いをしたが解決しないと言う、民主主義的な手法を貫きに強権を使うのは、民主主義の放棄です。著作権侵害を肯定する話ではなく、それを止める為の手段が違法と言う事を言ってるのであって、適正な手続きを踏んでいれば、こういう問題は出てこなかったでしょう。
国民が選んだ政府だから、独裁政治をしても良いと言う事にはならないし、政府を作るのは手段であって、目的ではないし本質ではない。代表を選挙で選んだから民主主義と言う思考はは北朝鮮と同じレベルなのです。
だから、そういう思考を持っている日本人がいる限り、日本は北朝鮮と変わらないと言う話になるのです。
最後に、では違法状態を止めるにはどうしたら良いのか、と言うのは、説明が長くなるので割愛して結論だけ書きますが、今は権利者が権利だけを求め、利用者不在のビジネスモデルに傾いているのが原因で、薄利多売の基本に立ち戻れと言う事。利用者が良い物を、安く、早く、いつでも手に入れられ、かつ製作者も利益を得られるビジネスモデルを構築する事。多売するには人を増やす、つまり少子化対策をする事。一つの問題は全てに繋がっているのです。
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2018年04月10日

本当は怖い著作権(前段)

あれ、確か以前もどこか同じタイトルで書いた書いた気がしますが(笑)
9割以上の日本人は大なり小なり、罪を犯している犯罪者です。
何かキリスト教っぽいですが(笑)事実です。それだけ、セカイに類を見ないほど、日本には法律や規制が多いと言う事なんです。最も日本より法律の数が多い国もありますが、余り普段の生活に抵触しない法律であったり、そもそも他の国で法律の数が少ないのは、宗教の戒律で決められていたりする事もあるので、わざわざ国が別に法律を作る必要性がないからです。
そして日本人の大半は、日本の法律の知識が皆無に近いので、日本人ではありません。
ここが間違いだらけの日本人を生産している大きな理由で、法律上の優先性や重要性を考えず、判断する輩ばかりになってしまっている訳なんです。法律の知識が皆無と言うのはどういう事かと言うと、無法と同じと言う事。確かに法律はあるけれども、一部の人間だけがそれを理解し、後は知らなくても良いと言うのは、法治国家と言うには余りにもお粗末な話。どうしてそうなるかと言うと、取りあえず、表面上の体裁さえ取り繕えれば良いと言う思考が、日本全体に蔓延しているからなんですね。マナーが欠如している状況で、信義や性善性を説いても理解できる訳がありません。
では、どうしたら良いかと言うと、教育しかありません。かつては、マナー等を教える場が家庭であった訳ですが、少子化で祖父母と同居等がなく、それを伝える存在の人間がいない。マナーだけでなく伝統等も失われている訳です。こうなると家庭以外で教える場は、最早、学校しかないのですが、今の日本の教育現場の惨状を見ると、それどころではありません。
勉強は出来てもマナーや道徳感がなければ、自己中心的な思考しか出来ず、社会不安の増大しかありません。
これが今の日本の状態。道徳教育や国語を重視しなければならないのに、英語教育を重視しようとする頓珍漢な思考をしている今の政府事態が既に日本人の感覚ではないのです。
何故、政府が英語教育を重視するのかと言うと、その延長線上に経済があるから。
ここではっきり言いますが、先の事を見られず考えられない馬鹿ばかりなんですよ。
経済を発展させるには、人がいなければ無理。つまり少子化対策が最重要であるにも関わらず、ほったらかしの政策じゃあ、国が衰退するのは自明の理。経済優先で人の事を考えない。車優先で人の事を考えない。全く思考が同じです。道路行政や都市計画等は、発展途上国レベルで未だに何十年も前の計画を進めようとしてる時点で、まともな判断が出来ていないと言うしかない。
観光都市の香港を目指しているのか、経済最優先の中国・韓国を目指そうとしているのか、北欧の福祉国家を目指しているのか、米国の資本主義一辺倒の国を目指しているのか、国として、一体、どこを目指そうとしているのか意味不明。日本をどういう国にしたいのかと言う物がない。じゃあ、という事で、全国民の意見を総括して突き詰めると、どうなるかと言うと、何事もなく楽して日々平穏に過ごせればいいと言うだけの国が良いってなります(笑)それをするには、マナーや法律等で統制が取れなければ出来ません。格差がなく皆平等と言うのは資本主義ではありえないからこそ、マナーや法律が重要になる訳です。
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2018年04月05日

取材とは何か

ニュース等で、よく取材すると言うのがありますが、取材と言うのは、読んで字の如く、材料を取ってくる事ですね(笑)別に難しい事でも何でもないんです。問題はその事実をありのまま伝えれば良いだけなのに、そこで取材した人間の思考や考察が入ってしまう事。事実に対してどう思うかはそれを受け取る側が考える事で、取材したニュースに対し意図した何かを入れた時点で、それは情報操作していると言う事になります。
近年、この情報操作、解説や論評を加えながら意図した方向へ向かわせようとする事が多い為、マスメディアの信用が落ちている訳。
勿論、取材した事柄に思考や考察を入れる場合、例えば、コラムであったり論説等であれば、個人の意見が入っても、それは個人の感想と言う域になり、内容に関わらず、ニュースには当らないので問題ないのですが、それが正しいかどうかは別の話になるので、受け取り手はよく考えなければなりません。
猫も杓子も論説、解説を入れなければならないのは、ニュースではありません。ニュースの3要件と言うのは、新鮮さ・早さ・正確さ、なので解説をいれた時点で、速達性と正確さを満たしておらず、ニュースにはならないのです。勿論、注目を集める目的で、早さだけを満たしていても、内容がなければ、ニュースとは言いません。基本的な事柄を理解していないので問題ばかり発生し、その問題も解決できない。これが間違いだらけの日本人の典型なのです。
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2018年03月10日

度々出る、小学校のテストの問題

よく小学校で、算数の計算で度々起こる問題で、まだ教えていない計算方法で答えると不正解にされてしまうというのがあります。
答えがあってるからいいじゃないか、という意見がありますが、そもそも学校は考え方を教えるところであって、答えだけを教えるところではありません。
これを理解していない時点で、その人間には、まともな思考力が付いていない事がわかります。
それこそ、もう一度、小学校からやり直すべきレベル。
で、当の考え方の理由なんですが、Aと言う答え方が正解だったとして、Bと言う答え方が出てきた理由に、Aと言う考え方をした上でBと言う考え方が出てきたのか、Bと言う答えだけではわかりません。

正解にするとしても、Bと言う答えの中にAと言う考えが含まれての答えなのか、それともAと言う考え方は含まれておらず、全く違う考えでその答え方を導き出したのでは、意味が違ってしまう訳で。
それが説明できれば、Bと言う答えを正解としても良いのではないかと思います。
何故、答えさえあっていれば、全く違う考え方で答えてはいけないのか、と言うと、Aと言う考え方をする人に説明が出来ない上に、理解できないから。
自身が他人の考えを理解できないと言う事にも繋がるからです。
どんなに頭が良くても、他人を理解出来るほどの思考を持ち合わせていない人ばかりの国では、争い事が増えるだけで、意味がないのです。
つまり、学校としての教え方は間違っていないのです。

これしかないではなく、これもあるし、あれもあるが、日本では、今はこれだけを覚えてください、という、段階を追って教える方式を取っています。と言う事を理解していないと、答えさえあってればと言う思考になります。これは目先の事だけしか見られない、ひどく浅い思考しか出来ていない人達、つまり、将来の事がわからない人達と同じと言う訳です。
いっぺんにあれもこれもは覚えられないし、かといって、逆に、これだけ覚えれば良いだと、馬鹿の一つ覚えで汎用性がなくなり思考停止に陥るので、順番に覚えていくと言うのは、方法論としては間違っていないのです。今の日本人の殆どが思考停止になっているのは、それだけしか考えていないか、何も考えていないから。
要するに、答えさえあっていいれば良い、と言う思考だからなんです。
ある問題が起こった場合、根本的な原因を解明できず、その場しのぎの対応しか出来ないのは、答えさえあっていればと言う思考で結果しか見ていないから。残念ながら、ここに気付ける日本人はごく僅かしかいません。考えると言う事を面倒くさがって、止めてしまってるから。はい。ここで問題を大きくするばかりで、何の役にも立たない思考停止の日本人の出来上がりですね(笑)
posted by ぴよぴよ at 09:22| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月05日

2018年02月25日