2016年12月08日

それは違うんじゃないか。

そもそも障碍者や高齢者は、その時点で既にハンデがあるので、普通の人と同じように利用できる訳がないんです。その為、使いやすいようにバリアフリー等を推進しようと言うのは決して間違っている訳ではありません。問題なのは、それらの設備に健常者が合わせなくては行けなくなる事。これ間違ってます。健常者が、それらの人と同じレベルの設備を使ったら、それに慣れてしまい、本来あるべきはずの身体能力がそのレベルにまで落ちてしまいます。つまり、健常者でありながら、障碍者や高齢者と同じになってしまうのです。
差別ではなく、区別する事で双方がより使いやすくなるにも関わらず、費用やスペースといった利益優先で設備を一緒にしてしまう。自転車専用道路や歩道等もそうですが、本来、利用対象が別々のものであるにも関わらず、共用化する事で、事故等の様々な問題が発生している訳です。設備を共用化する事で、スペースも取らず、費用も少なくて済みますが、本当に必要な人が必要な時に使えないと言う状況が生まれる問題が実際に起こっている訳です。何故、共用化の様な事が起こるかと言うと、実際に利用する人は、ごく少数で、実は必要ないと思っているからで、取り合えず、弱者に優しい設備を作ってますと言うアピールをしているだけの自己満足に過ぎないからです。それ以前に弱者に合わせる必要はないんです。何故なら、資本主義社会と言うのは競争社会なのは当たり前で、その当たり前の事を忘れ、当たり前に出来てないと言う事の方が問題。自然界では弱者は切り捨てられて当たり前なんです。そうなりたくなかったら、自身が身体的に強くなるしかない。そうなる為に、何かしましたか、何をやってますか。何もしないで、私は弱者だから、弱者に合わせるのは当たり前とか、切り捨てるなと言うのは、ただの甘えでしかありません。どうせやるのなら、共用化ではなく専用で。まあ、数の問題ではないんですが、余りにも弱者に合わせすぎな社会、車とか階段とか生活保護とか色々と目に付くようになって来たので、ちょっと書いてみました。
posted by ぴよぴよ at 09:22| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス: [必須入力]

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。