2018年05月20日

公共の場所は税金で管理運営されている場所

また出たって感じです。公共を理解してない日本人がとにかく多くて辟易します。電車内は公共の場所ではありません。
公共の定義はありますが、それはインフラに相当すると言う意味での公共と言うだけで、実際は、公共物ではありません。
では逆に、どこが公共になるかというと、管理者が国や地方自治体等、個人や企業等によらない場合で、利用を許可している場合だけ。
鉄道も国鉄時代なら国が管理していた為、公共と言えましたが、今はJR、民間企業なので公共のものではありません。
公共放送と謳ってるNHK、あれはみんなのものなので、許可を貰ってお金さえ払えば、自由に集まって使って良いのでしょうか(笑)
違いますよね。
電気ガス水道の公共料金と言うのもありますが、水道は難しいかもしれませんが、それ以外は、自由に契約できますよね。
自由に契約と言う時点で、公共物ではないのです。つまり、それは、インフラと言う意味での公共物であると言うだけの話に他ならず、
その事業主体や収益は管理者である企業へ行ってる訳です(笑)
大事な事なので2度書きました(笑)
管理者が企業な訳ですから、社会主義でない限り、公共と言うのは成り立ちません。
日本人は、公共と言う概念がとにかく異常なんです。根本的に戦後まで全体主義、社会主義体制でやって来た為に、
本当の資本主義社会体制と言う物を理解してないからなんですが、他人の物は俺のものと言う感覚の日本人が多いのは、
この公共性を理解していないからです。
また、不特定多数の人が利用する場所が公共と言う訳でもありません。
同じように人の集まるスーパーや百貨店等は公共物ですか(笑)
違いますよね。
その敷地内に広場等があっても、そこは公共の場所ではありませんよ。
では逆にどこが公共の場所になるのかと言うと、国や地方自治体が管理する、公園や公衆トイレ、道路河川や警察消防学校等の行政施設が公共の場所。
公務員のいる場所が公共の場所と思えば良いでしょう。要するに、税金で運営されている所です。
公共の場所だからと言って自由に使える訳ではありませんが、特定の場所に関しては許可が出れば利用できます。
端的に言うと、この公共性を理解できない人は、他人の物と自分の物の区別がつかない人です。
前回も書きましたが、実際の事例を出すと、そこに共通する事項が必ず存在します。それが真理、本質な訳です。
交通機関や電気ガス水道放送等の公共は、社会インフラ相当と言う意味での公共であって、実際は管理者が私人となる為、
それに関わる物は全て、公共のものではありません。
posted by ぴよぴよ at 00:36| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月19日

日本人は、もっと難しい事を考えよう。

センター試験でプログラミングを必須にと言う意見が出てますが全くの無駄。
情報処理技術者SEと呼ばれる人の中で単純に作業する人は、今は足りないと思うかもしれませんが、
人手不足で技術者の育成を奨励し、急速に増えた結果、日本では2035年に大量に余ると10年ほど前から言われています。
他の業界もそうですが、足りないと思ったと時には、すでに終わってる訳で、今から大量にIT関連の人間を増やそうとしても意味が無く、
無駄に終わるだけです。
研究開発に向かうような理数系は別として、文系にまでそれを課すのは、時間とお金の無駄の一言。
私もプログラミングもやりますが、一般的に以降の生活で関わりの無い人は、全く関わりが無い。
パソコンを使わない人が増えている中、プログラミングやる人等、益々いない(笑)
日本では何が不足しているかと言うと、これも10年ほど前から言われているが、作業する技術者ではなく、システムやプログラミングを創造できる技術者。
スマホアプリでプログラミングが出来るみたいな風潮があるが、プログラミングで作られたアプリを使ってるだけで、それは本来の意味のプログラミングではなく、必要なのは、そのアプリを開発する技術者(笑)
プログラミングと言うのは技術的な方法論であって、そこへ至る、何かをやりたいから、そのプログラミングを組もうと言う、発想や独自性の部分は出てこない。この発想や独自性がフログラミング開発の発端になるのだが、個々の資質による部分が大きく、その部分を育てるには、音楽、美術と言った芸術を中心に、感性を育てる教育を重視しないと意味が無い。
ところが、日本では受験科目のみを重視しているので、そう言った発想や感性が育ちにくい。
もし必須だと言うのであれば、理数系のみに適用するか、或いは、芸術大学や音楽大学のように専門性を持った学校を新設した方がまだ意味がある。
大学進学者全員がIT技術者を目指す訳でもないし、その必要性も無い。
実際に、言語記述のコーデイングがなければ尚更。そもそもプログラミングの基礎は数学だから(笑)
もし理論的論理的思考を身につけさせたいなら、プログラミングではなく、数学や物理を教えればいい。
統計や確率、微積分を勉強すると良いかもしれません。
最も日本人の場合、何がデータに示されているのか正しく関連付けて思考できる人間が非常に少ないので、小学校辺りから、その思考を育てていかないと難しいでしょうが(笑)
故に、知識として持っている分には良いが、プログラミングを受験の必須科目にする事には反対と言う訳。

ネットリテラシーに関しては、必須でも良いとは思いますが。
ただ、この辺りも法令法規を含めた形で教えないと意味が無いので(笑)
それと合わせて、身近な生活に関わる法律も必須にした方が良いと思います。
万引き(窃盗)とか、いじめ(恐喝・恫喝・暴行)とかは犯罪ですから。
この辺りの意識が低いのは、学校や家庭で日本の法律を教育してないからなんですよね。
因みに、法律家ではありませんが、六法全書を全部読み、各種法律にも目を通しているので詳しい訳。
だから、口語文と文語体では、どちらが読みやすいかと言う問題も、即座に文語体と答えられる。
日本人の国語力が低下したと先のブログでも書きましたが、法律の文章が難しいと感じる人間は、古文・漢文を含めた国語、
日本語をちゃんと理解して勉強してないから(笑)
法律を理解する上で国語は重要、その国語を理解していないと、当然、法律も理解できない。
だから、商法って、会社法って言うんじゃないの、と言う頓珍漢な質問をする馬鹿とか、正解は商法の中に会社法が含まれる。
商業銀行と投資銀行の違いがわからず、普通の人間がそんな事を知るか、と言う普通の人間ではない馬鹿とかが沸いて来てしまう。
正解は企業等への融資中心なのが商業銀行、年金等の資産運用をする信託系の銀行等が投資銀行。
まあ、こう書くと、何でそんなに偉そうなのと良く言われますが、実際に偉いんだから仕方ない(笑)
肩書きだけ偉くて、責任を取らない、先の道筋も示せない人間が本当に偉いと思いますか。
金は出せませんが(笑)
出せと言われたら当然出せますし、責任も取るし、道筋も示せる、そういう肩書きに寄らず、人種、年齢、性別、職種や肩書き等に左右されず、
あらゆる事に精通して行動してるから偉いんですよ(笑)
難しい事を考えるレベルを下げる事は出来ますが、上げる事は非常に大変なんです。
だから、普段から色々な事を見聞き考える事が重要で、一つの問題に対して、わかりやすい例えで言うと、見学する物を、団体旅行で観に行き、時間を掛けず、ただ通り過ぎるだけか、それとも個人で観に行き、じっくり時間を掛けるか位の開きがあると言えばわかるでしょう。
私の場合、一つの問題に対して、個人旅行レベルでも、少なくとも通常の人の1.5倍くらいの時間を掛けてる訳です。勿論、それだけ時間をかけたからと言っても答えが出るかどうかは別ですが(笑)
どの人も、これが出来るようになれば、もう少し世の中も良くなってくるんでしょうが、普段の生活だけに忙殺される人間ばかりなので、そのレベルに到達するには、根本的な社会全体の流れが変わらない限り、日本が消滅する事にでもならない限り、個人的には無理だろうと思ってますけど。

それにしても、このブログラミングの件に関して意味不明の意見を言ってる馬鹿が4人もいるよ(笑)
AIや無人化、機械化が進んでる中で、自分で考えて、それを組み立てて答えを出す力や、コンサルやデザインをする能力、生産性を高めていかないと
人間がAIや機械に負けてしまうので、近い将来人間として仕事がなくなってしまう可能性があるので、選択式で答えの用意されている無駄な試験を変えましょうと言ってる人がいます。一見正しいように見えますがこれは大きな間違い。
そうならないように基本的な事柄を勉強するのが教育であって、言ってる事は、これって所謂、発想の部分に当る訳で、プログラミングをやったからと言っても、そんな思考は全く出てきません。
つまり、その発想の部分について、否定しない、出る杭を打つような環境にしないと言う事の方が重要であって、試験はその基本的な部分に掛かる基準を作ってるだけなので、選択式が云々ではないのです。
例えば、会社の試験で同じ事をやったとしても、その後、自由な発想で開発させてくれる訳ではないでしょう。
むしろ、そういう発想を叩いて潰してしまう環境、これこそが日本に技術者が足りない理由。
叩かれるなら、何も考えず、ただ指示された事だけやればいいなる。
例え、それだけ強い意志があって推し進めたとしても、見合った対価が得られない(笑)
だから研究者で無い限り、無理という事(笑)
日本には先を見据えて、研究開発費を投資するような企業も殆ど存在しないし、今の日本には研究者って殆どいなくて、欧米等の海外で研究してるんですよ(笑)
手段と目的を理解していないと言うか、先に目的を言ってしまうと、その目的だけをクリアすればいいと考える、思考の浅い馬鹿(上記の4人含む)が大勢いるので、手段を教えて、目的を考えさせると言うやり方の教育を日本はしているのですが、今度は今度で、手段だけをクリアすればいいと考え、目的を考えない思考の浅い馬鹿(主に国会議員)が増えてしまってるいるので、どうしたら良いのか本当に困り物です。
こういう部分まで思考できない、足りない、間違いだらけの人間ばかりを量産する教育をしてる時点で、日本は終わってるなと感じるわけです。
posted by ぴよぴよ at 04:32| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月17日

歴史を教える理由

日本の歴史上、国内独自で自然発生した民主主義と言う物は存在していません。
戦前の一時期も民主主義風、しかも海外からの輸入物で、戦後GHQが介入するまで日本に純粋な民主主義が存在しなかったのは、周知の事実ですね。
未だに、今の日本国憲法が米国GHQの作った憲法だと言い張る、妄想の激しい人がいるのには辟易しますが、実態は、大日本帝国憲法な訳ですよ。
だから、120年ぶりに民法改正とかのニュースが未だに出る(笑)
120年前は当然、日本国憲法は存在しておらず、あるのは大日本帝国憲法だけです。
日本国憲法はそこから主に天皇に関わる文言を除外しただけ。
米国に押し付けられた憲法が嫌で憲法改正したいと言うのはお門違いで、もしそれが嫌なら、大日本帝国憲法、つまり民主主義の存在しない憲法になってしまうが良いのかという話(笑)
今なら出来るかもしれないが、当時はそんな力もないし、民主主義を知らないのだから、その時点で独自の憲法を作ると言うのは、どう足掻いても無理な事は明白ですね。
都合の良いところだけ取り上げて、米国の憲法だと言うのは、ダブルスタンダードも良いところ。だから本質が見えない。これが間違いだらけの日本人の致命的な部分。
国外の歴史等を勉強させるのは、民主主義の発達してきた歴史を教えると言う要素もありますが、それが主目的ではありません。
そもそも日本に民主主義が存在していたら、その内容は日本の歴史を教える時に出てくる訳ですが、日本の歴史上、戦前まで民主主義は存在していないので、国外の事例を使うしかない訳です(笑)
それこそが日本に民主主義が存在していなかった決定的な理由です。
さて、国内外の歴史、世界史を教えるのは、日本だけでなく、世界へ向けた広い視野を持つと言う事が主目的になるのですが、日本の歴史は言わずもがな、世界が他人の事だとしたら、日本の歴史は自分の事。日本人として日本と言う国を見つめ直すと言うのが主目的ですね。
歴史教育は、年を経れば、それだけ歴史も増えるので必然的に教える事が増える訳です。限られた時間の中で必要な事だけを教えなくてはならず、どうしても省略されてしまうものも出てくるので、昔教育を受けた人と、今の教育を受けた人では、その内容に差が出てきてしまうのは仕方の無い事ではあります。
坂本龍馬の名前が教科書からなくなるのではと言う問題が出てきましたが、現時点でも事実上、名前だけで具体的に何をやったかと言う話は、殆ど出てきません、にも関わらず、話題になったのは、天草四郎もそうですが、余りにも神格化されすぎてしまったからではないかなと思います。名前だけが一人歩きしてる感じですね。勿論、地元、関係者にとっては、重要な人物である事に変わりはありませんが、全国規模で教えるに値するかと言うと、日本の歴史に与えた実績や業績等に関わる影響と言うのはほぼ皆無なんですね。
そう考えると、もう少し普段の生活に密着した人物を取り上げた方が良いと思うのに、日本の教育では、どういう訳か、そういう関わりの少ない人物を教えようとする。生活に密着した人物については、密着しているだけに知る機会が多いだろうと言う判断かもしれないが、灯台下暗しと言うように、実は身近な人物について知る機会は殆ど無い。実際、近現代の歴史も、すぐに調べられるからと言う安易な理由で殆ど教えていない。
戦時中の話は元より、戦後も政府に関わる事柄は殆ど教えていない、と言う様に政治的判断が多分に含まれている事は事実で、実は日本の教育は完全に公平ではなく忖度されている部分もあると言う事を頭の端に留めて置かないと、間違った選択、間違いだらけの日本人になってしまうので注意して欲しい所ではある。
posted by ぴよぴよ at 10:39| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月16日

2018年05月10日

日本語の国語力が落ちている日本人

日本人の国語力の低下が叫ばれて久しいですが、ここ最近、その傾向に益々拍車がかかっています。
「その一言で周囲が凍り付いた」等と言う比喩、装飾表現が理解できない。だけならまだしも「てにをは」の意味や使い方がわからない。
モリカケ問題で話題になった黒塗り修正文書。修正する前の文書を無修正と言うのだが、既に修正してある物を修正していませんと言う意味で、無修正と言ったり。最早、笑うに笑えない事態となっている。時代と共に言葉が変化すると言う人がいますが、正しい意味と使い方をされ続けていれば、言葉が変化する事は殆どない。言葉が変化すると言うのはただの詭弁で、そういった本来の正しい意味や使い方の知識を知らず、理解しようとしない人間のただの言い訳に過ぎない。
以上、未満の意味と使い方にしてもそうだ。例えば、3日以上と言う場合、3日も入るが、それとは別に、3日よりも多い日数を含んでいなければならない。つまり、3日以上で3日は該当するが、実際に4日や5日が無く、3日しかない場合は、3日以上、ではなく、3日以内、としなければならない。相手に対して、齟齬が生じないように間違いが発生しないような明確な表現が必要となってくる。3日未満は、当然、3日は含まれない。そんな細かい事、どうだって良いじゃないかと思った時点で、平気で他人を欺いても良いと言う思考に繋がる上に、義務教育で日本語教育を受けているにも関わらず、その教育が意味を成していない事になり、それはつまり、日本語を衰退させる害悪の要因でしかなく、日本人として日本語を話す資格の無い間違いだらけの日本人と言う事になる。因みに昨今流行の忖度とおもてなしも、実は微妙に違う。何が違うのかと言うと、基本的な意味は同じだが、距離感が違う。おもてなしは、目の前にいる人を相手にするもの。忖度は、目の前にいない人に対するもの。
このように日本語は諸外国に比べ、細かな言い回しや表現が多く難しいが、それは、意味や状態を確実に間違いなく相手に伝えると言う意思が強い言語だからと言えよう。そう言った表現が少ない英語等を主眼において勉強して来てしまうと、翻訳家等にでもなろうとしない限り、単純表現しか出来なくなっていく。これが日本語にも影響し、国語力の低下に更に拍車をかけてしまっている訳です。それでなくても、表面的な言葉だけでしか判断できない傾向が強くなり、そこに何が書かれているか理解できない人間が増えているにも関わらず、日本語を軽視し、英語だけに力を入れるのは、教育として間違っている訳です。つまり、今の日本の教育が間違っていると言う訳です。
高度成長期の物を作って売るだけの時代なら、いざ知らず、時代や環境に合わせた全体で教育していくべき所を、都合の良い、一部のみを切り取って教えようと言う今の日本の教育姿勢が、社会全体の間違いを引き起こす元になっているのです。
このニュースでは、一体、何が問題になっているのか、それが文章から読み取れない人達、メディアや野党勢力を中心に一杯います。
当然、与党内にも存在するのは、日本の教育を受けている比率から言っても、当然になるでしょう。
問題は、日本語教育で教える内容や、やり方ではありません。それは方法であって目的ではない。日本語を勉強する意義や目的を多くの日本人が理解していないと言う、教育方針に問題があると言う事です。受験勉強の為だけの教育、海外とのやりとりをするだけの為の教育。ある目的を達成してしまったら、そこで終わってしまうような継続性の無い教育だけを推進していれば、レベルが低下し続けて行くしかないのは必然。
要するに、方法は教えるが、目的は教えない。目的は考えなくても良いと言うロボットや奴隷を扱う思考。これだから、付け焼刃な事しかできず、本当の問題を解決する力など、出来る訳はないのである。殆どの日本人で問題を解決する能力が皆無なのは、これが理由だからです。
教育って大事ですよね。特に学校を卒業してからの教育が。
posted by ぴよぴよ at 00:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月07日

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posted by ぴよぴよ at 01:43| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月05日